急性骨髄白血病で余命一ヶ月の父2020.12.2
体験談
体験談を頂きましたのでご紹介します
熊本県 45歳 女性
お帰りなさい、お父さん。なんと素晴らしい奇跡でしょう。
病院からの外泊を許された父が家に着きました。
この光景を身内の誰が想像できたことか。
私は本当に幸せ者です。
お正月にいつものご無沙汰を思って、子供と主人の実家に行きました。
ところが父は真っ青な顔をして休んでいました。
一日待って、三日目に苦しむ父を車で二時間ほどかけて市内の病院に連れて行きました。
簡単な検査が終わると、「よく来られましたね」と言われました。
五日目になり詳しい検査が終わると、「急性骨髄白血病」と診断されました。
一ヶ月もつか分からないとのことで、駆け付けた妹たちは泣いてばかりでした。
点滴と輸血の針は外れることがありません。
先生に尋ねると、いくつもの病気と闘っているので、いつ発作が起きるか分からないとのことでした。
顔はむくみ、足は腫れ、熱が三十九度~四十度を行ったり来たり。吐血や下血があり、何も食べられなくなりました。
気丈な父も痩せこけて動かなくなり、足などは骨の上にぼろきれを貼ったようにダブダブになりました。
身体じゅうに斑点が見られ、顔は小さく入れ歯も緩くなりました。
それでも父は元気になるものと思っているらしく、「早くよくなって歯医者に行く」というのです。
私は廊下に出て涙ながらに神様に「もう一度父に命をください」と祈りました。
祈りが通じたのか、数日後私の友人が「マリンO2」を病院に持って行ったようでした。
四・五日試して、母からの電話では、数日も持たない様子で泣いていました。
その時です。以前いただいたマリンO2の資料を見るともなしにめくったのです。
私は寝る間も忘れて読みました。夜が明けるのを待ちきれず、七時に病院に電話を入れ、
マリンO2を二十~三十粒食べさせるように、胸やお腹にも擦り込むように、と伝えました。
母はこの通りにしたのでしょう。二日後、腐敗便が便器に入らない程出たそうです。
それからは薄紙どころか、厚紙をぺらぺらめくるように早いスピードで良くなりました。
輸血も十日程で取れ、点滴も二本になり一本になり、とうとう歩けるようになりました。
看護師さんが用意した歩行器も必要なく歩き出しました。
先生方のご指導の通りにして、今にして思えば何もかもラッキーでした。
腐敗便を一気に出し、食事も長い間食べていなかったのが良かったようです。
本当にありがとうございました。
これからは一人でも多くの人にこの喜びを伝え、健康づくりのお手伝いをしたいと思っています。
※医薬品的な効能・効果を標榜するための体験ではありません